ライトノベル作家、八薙玉造のblogです。
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八薙玉造
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男性
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ライトノベルをガリガリと書かせていただいている身の上です。
メールはtamazo☆carrot.ocn.ne.jpまで。(SPAM対策で@を☆に変更しています。@に直してお送りください)
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現段階で七話まで観賞終了。
期待していたものとは違う形に落ち着いてきつつあります。それが悪いことかどうかの判断は、自信をもってすることができないわけですが。
三巻後半にあたる六話は、可も不可もない許容範囲内に収まる内容でした。
学校でのお話を飛ばした以上、原作三巻のテーマと、双葉の成長を書けないのはしかたなかったでしょう。
ヒッシャムは喋るだけでおもしろいので困る(笑)
七話はまた何を思ったのか、原作二巻の後半をここで持ってきて、半オリジナルで怪盗百色と梨々の決着篇でした。
以前、雑記で書いたとおり、原作二巻のお話は、デュラハンが百色ファミリーに参入することと、ハミルトンと百色の対決なしには終われるわけもなかったので(OP見る限り、デュラハンは梨々と一緒にいるのは確定なので)観れてよかったと思いました。やらなかったらどうしようかとヒヤヒヤしてたよ(笑)
ただ、ハミルトンと百色の対決が、原作にあったハミルトンの反省を促すこともなく、デュラハンの対ガーゴイル兵装である杭打ち機も出なかったことは残念(内蔵兵装なのに……)
原作の感想でも語っているように、『吉永さん家のガーゴイル』という作品は、恐ろしく微妙なバランスを保つことによって成り立っている作品で、それをわかりやすい映像作品に直すのは、実際難しいことなのかもしれません。
アニメ版は、原作のわかりやすいギミックをアニメとして視聴者にわかりやすく、見せ場を作り出す形で見せてくれているわけですが、やはりそれは元々の繊細なバランスを崩していることもいなめません。要するに地味なエピソードを省いていることで、お話として締まりは出ているが、弊害も発生しているということです。
一巻の佐々尾のおばあちゃんのお話(ガーゴイルの鈴と、感情の転機にまつわる話)
二巻のハミルトンの改心(将来、梨々と百色の別れが来る時に関わるだろう話)
三巻の花壇の話(植物と話したことをきっかけとして、現実的な面で双葉が植物に命を感じることができるようになった話)
12話という短い尺の中、できることは限られているということで、色々削れるところを削っているのだとは思うわけですが、バトルアニメではないガーゴイルにとっては、本来、重要なはずのエピソードだと思う部分がなくなっていて、個人的には寂しがっています。削っているわりに、マッハで進む場合もあるし。
余裕を持って、一つ一つのエピソードを丁寧に書き込んでいくのが、原作を一番生かすことのできる書き方だと思うのですが……まあ、そこまではやりたい! という話があるんだろうなーと解釈しています。
だが、次回、八話はオリジナル話。
そもそもの価値観が違うのか、構成の人と……。
期待していたものとは違う形に落ち着いてきつつあります。それが悪いことかどうかの判断は、自信をもってすることができないわけですが。
三巻後半にあたる六話は、可も不可もない許容範囲内に収まる内容でした。
学校でのお話を飛ばした以上、原作三巻のテーマと、双葉の成長を書けないのはしかたなかったでしょう。
ヒッシャムは喋るだけでおもしろいので困る(笑)
七話はまた何を思ったのか、原作二巻の後半をここで持ってきて、半オリジナルで怪盗百色と梨々の決着篇でした。
以前、雑記で書いたとおり、原作二巻のお話は、デュラハンが百色ファミリーに参入することと、ハミルトンと百色の対決なしには終われるわけもなかったので(OP見る限り、デュラハンは梨々と一緒にいるのは確定なので)観れてよかったと思いました。やらなかったらどうしようかとヒヤヒヤしてたよ(笑)
ただ、ハミルトンと百色の対決が、原作にあったハミルトンの反省を促すこともなく、デュラハンの対ガーゴイル兵装である杭打ち機も出なかったことは残念(内蔵兵装なのに……)
原作の感想でも語っているように、『吉永さん家のガーゴイル』という作品は、恐ろしく微妙なバランスを保つことによって成り立っている作品で、それをわかりやすい映像作品に直すのは、実際難しいことなのかもしれません。
アニメ版は、原作のわかりやすいギミックをアニメとして視聴者にわかりやすく、見せ場を作り出す形で見せてくれているわけですが、やはりそれは元々の繊細なバランスを崩していることもいなめません。要するに地味なエピソードを省いていることで、お話として締まりは出ているが、弊害も発生しているということです。
一巻の佐々尾のおばあちゃんのお話(ガーゴイルの鈴と、感情の転機にまつわる話)
二巻のハミルトンの改心(将来、梨々と百色の別れが来る時に関わるだろう話)
三巻の花壇の話(植物と話したことをきっかけとして、現実的な面で双葉が植物に命を感じることができるようになった話)
12話という短い尺の中、できることは限られているということで、色々削れるところを削っているのだとは思うわけですが、バトルアニメではないガーゴイルにとっては、本来、重要なはずのエピソードだと思う部分がなくなっていて、個人的には寂しがっています。削っているわりに、マッハで進む場合もあるし。
余裕を持って、一つ一つのエピソードを丁寧に書き込んでいくのが、原作を一番生かすことのできる書き方だと思うのですが……まあ、そこまではやりたい! という話があるんだろうなーと解釈しています。
だが、次回、八話はオリジナル話。
そもそもの価値観が違うのか、構成の人と……。
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