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ライトノベル作家、八薙玉造のblogです。 ここでは、主に商業活動、同人活動の宣伝を行っております。
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 ライトノベルをガリガリと書かせていただいている身の上です。

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先日の『関西コミティア28』で無料配布しました、『伝奇ストロングスタイル 妖怪超人バンニュード予告編』をネット公開します。

作品としては『妖怪超人バンニュード』からの独立短編ではなく、現在執筆中の『妖怪超人バンニュード』の冒頭部分の掲載となります。また、実際の本とは、以下の点が異なります。

・ルビを使わないため、ルビ部分は()表記で書かれています。
・レイアウトなどが異なります。
・完成稿校正時に文章が変更される可能性があります。
・僕の隣には巫女さんが住んでいないことも現実と異なる点になりませんか?

なお、『伝奇ストロングスタイル 妖怪超人バンニュード』はコミックマーケット70での委託頒布が初出となる予定です。委託先は三日目(8月13日)参加の『日本量産党』(スペースNo,R-53b)になります。予告編が気に入っていただけた方は、是非お立ち寄りください。
って、原稿完成前に言ったら鬼が笑う。

「鬼だよ」

斬鬼さん!?

そんなわけで、『予告編へ』ボタンをポチっと押してどうぞ。

拍手


   ◆ ◆ ◆

 既に太陽は沈んでいるというのに下がる気配が見えない真夏の気温と、肌にまとわりつく湿気に辟易し、獅子藤春香(ししふじ はるか)は溜息をついた。
 大学から寮への帰り道、街灯に照らされた細い道を彼女は一人歩いていた。長い黒髪に湿り気を帯びた空気が粘りついてくる。鬱陶しそうに髪をかきあげながらもう一度深く溜息をつく。細い眉を寄せ、不快の意思を隠そうともせずに彼女は夜空を見上げた。
「……半日無駄にしたわ」
 溜め込んでいた不快感を吐き出すように彼女は呟いた。空に明るく輝く月が意味もなく恨めしく思える。
 春香は昼から大学に赴いていた。既に八月も半ば、夏休みに入って久しい。彼女自身も他の学生たちに遅れてではあるが、明日から実家に帰る予定だ。そんな面倒なタイミングでわざわざ休暇中の大学に出たのは他でもなく、友人から相談を受けたからだ。電話越しに泣きながら話す友人の頼みを無下に断ることができる程の思い切りはない。
 結果、半日を無駄にした。
 相談というのは平凡な恋愛相談だ。そもそも、その手の話を無駄としか思っていない自分に相談してくるのが間違いだと前置きはしてみたものの、結局、延々と話を聞くはめになった。こちらの返答にはあまり意味がない。愚痴を聞いているようなものだ。理屈立てて話しても、感情だけで返されては会話が成り立たない。とはいえ、話を聞き流すことを求められているわけでもない。感情的に理解できないわけではないが無意味な会話だと思わざるをえなかった。それでも、そんな考えを表に出して、友人関係を壊すのは馬鹿馬鹿しい。
 真剣な悩みを無駄だと思うことに、多少の罪悪感を覚えなくはないが、それでも無駄なものは無駄なのだという考えを春香は否定する気もない。
「早く帰ろう」
 じっとしているだけでも汗が噴出してくる。それなりに気に入っている淡い水色のブラウスも黒いロングスカートも今は汗を吸うだけの鬱陶しいものに過ぎない。帰ってエアコンの効いた部屋で食事を済ませ、早いところシャワーを浴びてすっきりとしたい。
 慣れ親しんだ道を歩いていく。はっきりと言ってしまえば彼女の通う大学は田舎にある。大学の周囲には木が多く、民家は少ない。今彼女が歩いている道も夜に女性が一人で歩くには危なっかしい細道だ。虫のたかる街灯が行く先をぼんやり照らしている。何の気なしに目を横にやれば、遠くに見える町明かりを背に奇妙なドーム状の建物がある。金網に覆われた敷地は、友人から聞いたところによれば、水道水を溜めた配水地だということだ。
 水のことを考えれば、やはりシャワーが恋しくなるのも道理だと、足を早めようとする。
 その時、春香は敷地を覆うフェンスを越える影を見た。ひと跳びで金網を越えたのは、明らかに人の姿をしたものだ。凄まじい跳躍力だと感心する。泥棒かもしれないが大学生の多いこの場所であれば、夏休みだけにはしゃいでいる者がいてもおかしくはない。
 興味をなくし、前を見て歩き出す。そして、ふと思う。そこにあるフェンスはひと跳びで飛び越えられる程に低かっただろうか。
 もう一度見直せば配水地を覆うフェンスは彼女の身長よりも高い。フェンスに手をかけるでもなく、棒高飛びのように何かを使うわけでもなく乗り越えることは助走していたとしても不可能だ。見間違えだろうかと、先程の人影がいた場所に向けた彼女の瞳が大きく見開かれた。
 敷地を照らす照明に照らし出された人影は人の姿をしていなかった。
 その顔は蛙のものだった。突き出した大きな瞳と人間で言えば耳まで裂けた口、濡れたように光る肌は青黒く、疣のようなものがそこら中に膨れ上がっている。ほっそりとした四肢もまた腐敗したような青黒い肌色をしていた。その表面にも多くの大きな疣が蠢いている。靴も履いていない足の先には、三本だけしかない指が見える。その胴だけが金属光沢を帯びた黒い鎧のような塊に覆われていた。呼吸のたびにその喉が大きく収縮している。。
 悲鳴を上げそうになった口を抑える。
 ……本当にいたんだ!
 荒くなる呼気を抑え、ドーム状の建物へと近づいていく背中を凝視する。
 一瞬、脳裏に走った「本当にいたんだ!」という自分の驚きがどれ程無意味なものであるのかを春香は理解していた。
 このところ新聞や雑誌、テレビを賑わせ続けている事件がある。
 テロ組織『伊邪那美(イザナミ)』による破壊活動がそれだ。彼らが行うのは神話伝承に残る妖怪や神々を模した怪人としか形容できない化け物―妖怪造人間を用いた多くのテロ行為だ。
 最初こそ人々は冗談としか思わなかったが、繰り返しテレビや新聞で報道される怪人たちの姿が、いつしかそれらが本物であることを皆に浸透させていた。NHKのアナウンサーさえもがマジメな顔で、実際の映像を流して事件を伝えるのだから、『伊邪那美』と彼ら妖怪造人間が存在しないという考えはもはやできないはずだった。だが、実際、目の当たりにしてみると、目にしている事実が信じられない。
 ……でも、事実よね。
 何を目的としているのかはわからないが、蛙の頭をした男―妖怪造人間は敷地内を堂々と歩いていく。春香には彼の行おうとしていることはわからない。だが、ニュースや新聞を鵜呑みにするなら、その目的が何らかの破壊活動であることはわかる。さらに言えば、とりあえず不法侵入であることは間違いない。
 妖怪造人間を視界に捉えたまま携帯電話を取り出す。一一〇をダイヤルしながら、足早に距離を取ろうとする。アスファルトの上で砂利が嫌な音を立てた。
 蛙の顔が振り向いた。疣だらけの顔の横に大きく突き出した瞳は間違いなく春香を見ている。大きく裂けた口がぱっくりと開き、喉が膨れた。
「見たね、あんた」
 蛙の頭がやけに流暢な日本語を発した。
 否定することに意味はない。恐怖に竦みそうになる身体を無理矢理動かし、背を向けると、全速力で駆け出す。
「まぁ、落ち着こうや」
 空から声が聞こえた。走りながら振り仰げば蛙男が軽やかに夜空を舞っていた。彼女を軽々と飛び越えると、蛙男は彼女の逃げる先を塞ぐように降り立つ。
 立ち止まり、後ろを振り向くが既に敷地内にいたはずの蛙男の姿はない。信じられないことだが、数十メートルを一息に跳躍してきたとしか考えられない。
「ヘヘヘ。お嬢さん」
 喉を膨らませた蛙男の口から長い舌がこぼれる。
「こちとら、工場のライン作業ばりに地味で忍耐力のいる作戦の前でなぁ」
 蛙男の口の端が持ち上がる。
 暗い道に人の姿はない。助けを呼ぼうにも近くにあるものは配水地だけだ。職員や警備員がいるのかどうかもわからない。民家は遠くに見えるが声が届く距離ではない。震える指で携帯電話の通話ボタンを抑えようとする。
「ポリスメンに電話がかかるのと、俺が動くのとどっちが早いかなぁ? 即答してやると、答えは男前な俺」
 蛙男が近づいてくる。
 ……殺される……!
 自分を殺そうとしていることは考えるまでもない。近づいてくる異形に、いまだかつて感じたこともない恐怖が身体の奥から湧き上がってくる。全身に震えが走り、膝の力が抜けた。漂ってくる生臭い匂いは蛙男の放つ臭気なのだろうと、意味のないことを考える。悲鳴が喉から溢れそうになる。
「それじゃぁ、お嬢さん。覚悟してもらうぜ」
 だらしくなく舌を垂らしたまま蛙男が目の前に迫る。その口が大きく開いていく。
 その時、春香は不意に自分の背後から流れてくる音楽を聴いた。
 やけに軽快なギター……に聞こえるが、おそらくエレクトーンあたりで奏でた偽ギターではないかと思われる作り物感溢れる前奏がけたたましく鳴り響く。前奏には何者かの鼻歌も混じっている。しかも、春香はその曲に聞き覚えがあった。
「げ……」
 蛙男が歩みを止め、春香の後方に視線を投げる。垂らしていた舌は彼の口腔に巻き取られた。春香もまたつられるように振り向いていた。
 一人の男が立っていた。
 男が手にするものはカセットテープを使う古いタイプのラジカセだ。夜道に響き渡る音楽は男が手にしたラジカセから音量全開で流れ出している。よくよく聞けば、カセット特有の音の劣化がはっきりと感じられる。
 前奏が終わろうとしているラジカセを足元に置き、男が歩き出す。街灯がその姿を薄闇に浮かび上がらせた。
 その男もまた蛙男と同じ異形だった。
 太く逞しい四肢が蛙の胴を覆うものと同質の黒い金属装甲のようなもので覆われている。どこか生物的な質感をも帯びた奇妙な金属だ。黒い装甲に包まれない両肩は鋭く張り出し、真紅の鎧を形成していた。鎧は燃える炎を意匠としたような派手は作りをしている。その顔は蛙男とは違い、尖った装飾と黒いバイザーを備えた真紅のヘルメットに覆われていた。
 だが、そんなものよりも春香は彼の胸元に釘付けにならざるをえなかった。
 そこには胸を覆う程に大きな、屈強な男の禿頭が埋もれていた。憤怒の表情を露にした男の頭には深く刻まれた皺と共に青筋が何本も走っている。虎髭とでもいうのか、太く短い髭で顔の下半分は覆われ、血走った瞳が春香を睨みつけていた。砕けるのではないかと思う程に食い縛られた歯の隙間からは荒々しい吐息が漏れるのがはっきりと聞こえてくる。
 蛙男と同じく、それもまた間違いなく怪人にしか見えない。しかし、その男が『伊邪那美』の妖怪造人間ではないということを春香は知っていた。
「貴様ーっ! 裏切り者の輪入道男か!」
 蛙男が絶叫する。
「違うな。間違ってるぜ、蛙男」
 対して男は右拳を引き、左拳を突き出して構えを取る。両の腕、そして地面を踏みしめる両足は肘、膝よりも上まで長く伸びる篭手に覆われていた。ただし、それらは他の部位を覆う装甲や赤い鎧とは違い、明らかに木で作られたものだ。
「俺の名は妖怪超人バンニュード! 『伊邪那美』の悪事を轢き潰しに来た、炎の化身だ!」
「ほざくな!」
 蛙男が凄まじい勢いで跳躍する。
 いまだ流れっぱなしの曲の前奏が終わっていた。流れてくる歌声は明らかに、今、目の前で喋っていた男―妖怪超人バンニュードのものだ。

 夢に出るのは いつも同じ姿
 剣折れても まなざしは熱く
 輝く勇気たずさえ 愛する人を守る
 それはローングロングアゴー 騎士の伝説
 君と僕とで紡ぐ ゆるやかな輪舞曲(ロンド)
 途切れさせずに 踊り続けて
 プリーズ・コールミナーウ 世界の果てにいても
 ビコーズ・アイラビュー 必ず迎えにいけるから
 胸の炎 いつまでも燃えるよ
 アイ・キャン・フライ・ファラウェイ
 So…… バンニュード


 恐ろしく恥ずかしい歌詞だった。
 だが、歌っている者はノリノリだ。不思議なことに音程が外れ、声も裏返っているが、それでもノリノリだ。英語は明らかに日本語発音しているが、それでもなおノリノリだ。
 そんな歌が響く中、バンニュードは蛙男の跳び蹴りを紙一重でかわし、反撃の回し蹴りを叩き込んでいた。蛙男の身体は軽々と吹き飛び、配水地のフェンスを突き破ると敷地内をゴロゴロと転がっていく。
「逃げるんだ!」
 叫びながら、蝦蟇男と春香の間に壁となるようにバンニュードが立つ。
 バンニュードの名を、そして、その姿を春香は知っていた。今、二番に突入した歌も聴き覚えがある。
 妖怪超人バンニュード。
 それは『伊邪那美』や妖怪造人間の話題がニュースに登り始めた頃、同時に聞くことが多くなった名前だ。『伊邪那美』の妖怪造人間が現れた場所に姿を見せ、妖怪造人間たちから人々を護り戦う、絵に描いたような『正義の味方』。それが春香を含めた世間一般のバンニュードの認識だ。妖怪造人間たちと同じく、ニュースなどで彼が戦う映像は何度も流れている。彼自身がカメラに向けて自分が敵ではないと喋っていたことも記憶に新しい。ついでに言えば、あの歌はいつも彼が自前で持ってきて流しているという話で、録音されたものがテレビでも使われていた。『伊邪那美』や妖怪造人間という言葉も、彼がマスメディアを通じて伝えたものだ。
 世間が正義の味方として認めていることはともかく、バンニュード自身は『伊邪那美』の事件との関わりや、妖怪造人間との戦闘で行った破壊行為によって指名手配されていることも皆が知っていることだ。
 色々な意味で話題の男―バンニュードが春香の眼前に立っていた。蛙男から彼女を庇うように立つ背中が目の前にある。
「おのれ……輪入道男。いや、バンニュード! 俺は『伊邪那美』の妖怪造人間、蝦蟇男! 貴様、女を庇って勝てると思うなよ!」
 蛙男改め、蝦蟇男がフェンスを飛び越えて地面に降り立つ。
 蝦蟇男の言葉で春香もまた我に帰る。蝦蟇男の言うとおり、このまま彼女が留まれば戦いの邪魔になることは間違えない。バンニュードが庇ってくれていると仮定しての話ではあるが。
 どちらにしろ、戦いに巻き込まれれば命はない。一撃で金網のフェンスを撃ち抜く勢いで敵を吹き飛ばす蹴りなどかすっただけでも致命傷だろう。
 だから、逃げないといけない。蝦蟇男から逃げようとした時のように背を向けて全力で走り出せばいいのだと、春香は思う。
 だが、春香の足は動かない。いつの間にか身体が震えていた。それ程眼前の光景を恐れているわけではないと思っていた。しかし、身体が意思についてこない。膝が震え、両の腕は自分を護るように身体を抱き締めていた。歯の根もガチガチと音を鳴らしている。命の危険の前に、身体が理性を裏切っていた。冷静でいる頭だけはそんなことを考えることもできる。それでも足が動かない。
「女と一緒にあの世に送ってやるぞ、バンニュード!」
「どうかな?」
 バンニュードが肩越しに春香へ振り向く。そして、すぐに正面へ向き直ると構える蝦蟇男へ向かって、迷うことなく足を踏み出す。
「やる気か! ならば死ね、バンニュード!」
 叫ぶと同時に蝦蟇男の口から拳大の飛沫が飛んだ。
 バンニュード目掛けて放たれた暗緑色の飛沫を、彼は右拳で払いのける。肉が鉄板で焼けるような音と共に彼の拳が白煙を上げた。
「ぐぅおっ!?」
 バンニュードのマスクからくぐもった声が漏れる。黒い装甲に覆われた右拳が焼けたように爛れていく。
「痛かろう、俺の猛毒は! だが、まだだぜ、バンニュード! ここからが本番だぁ!」
 蝦蟇男が両腕を交差する。濡れたように光る四肢に無数に存在する疣の先端が次々と割れていく。そこから染み出してくるのは膿ではなく、先程バンニュード目掛けて発射された暗緑色の飛沫と同じものだ。疣が収縮し、次の瞬間、飛沫が飛び散った。一発ではない。全身の疣から散弾のように無数の液体がバンニュード目掛けて発射される。
「効くか!」
 叫びと共にバンニュードの両腕が炎を上げた。眩いばかりに燃え上がるのは、唯一木製で作られている二つの篭手だ。燃える両腕が飛来する飛沫へと叩き込まれる。
 一つ一つが拳大もある無数の飛沫が瞬時に消滅した。炎が触れた瞬間、泡立つ間もなく暗緑色の塊が蒸発し、そのほとんどが彼の身体に届かない。
 しかし、飛沫を迎撃したバンニュードも無傷とは言えなかった。もうもうと煙る水蒸気がバンニュードの装甲とマスクの表面を爛れさせていく。飛沫に含まれていた何らかの毒が蒸発してなお影響を与えているのかもしれない。数十発繰り出された飛沫の中には、炎の防御を掻い潜り、バンニュードの身体を焦がしているものもある。マスクの下からうめきが漏れた。
 ……よけられなかった?
 バンニュードは先程から動いていない。走りながらであれば、全てを受け止める必要もなかったはずだ。しかし、彼は春香と蝦蟇男の間に立ち、真っ向から蝦蟇男の攻撃を受けていた。
「……あ、あたしを……」
 蝦蟇男は「女を庇って勝てると思うなよ」と言った。仮にバンニュードが今の攻撃をよけていれば、毒液の飛沫は春香を直撃していた。彼の装甲を焼く毒液が春香の肉体を溶かさないわけがない。
 彼は春香を庇うように間に立っていたわけではない。実際、庇うために間に立っているのだ。
 さらに繰り出される飛沫を受けながら、バンニュードが少しだけ振り向く。
「多分、蒸発したやつも体に悪い。ゆっくりでいいから風上に逃げるんだ」
 それだけ言って彼はもう一度蝦蟇男に向き直る。
 ……ダメだ。あたしが邪魔してる。
 怯えて動けない場合ではない。このまま庇い続けていれば、いずれバンニュードは倒される。いまだ身体の震えは止まらず、足も言うことを聞かない。
 バンニュードのマスクの表面が溶け、滴が一筋流れ落ちた。突き出した突起の一部が歪み、曲がっていく。滴り落ちた水滴もまた彼の肩で白煙を生じる。それを見ても震えた足は動かない。
「……動けっ!」
 身体を抱く両腕を引き剥がし、膝を叩く。一発では動かないから、さらにもう一発、叩くというよりも殴りつける。鈍い痛みと共に足が動いた。そして、春香はよろめくように走り出す。
「よしっ! 行くぞ、蝦蟇男!」
 背を向け、振り向かずに走る春香の後ろでバンニュードの声が上がった。間髪入れずに響くのは彼がアスファルトを蹴る音と、蝦蟇男の焦りを帯びた叫びだ。
 振り向けば炎の両腕で毒液を弾き、生じた白煙を突き破り、赤い姿が一直線に走っていく。身軽な跳躍を交えて走るバンニュードに、もはや毒の散弾はほとんど当たっていない。辛うじてバンニュードを捉えたものも片手の炎で蒸発し、白煙をその後方に生じるだけだ。
 狼狽する蝦蟇男にバンニュードが迫る。握り締められた拳が疾走の加速を乗せて叩き込まれる。
 拳が触れる寸前、蝦蟇男が跳んだ。地面を蹴り凄まじい跳躍力で細い身体が後方に跳び退る。飛び行く先にあるものは配水地の建物だ。
「もらったぞ、バンニュード!!」 
 空中で身体を反転し、蝦蟇男が壁を蹴る。金属製の壁を蹴り砕き、三指の足跡を残し、身体が弾丸ように加速する。
「何もやらん!」
 対してバンニュードが跳ぶ。同時にその四肢が奇妙に捩れていく。木製の篭手に覆われた両腕が折れ、同じく木製の具足に包まれた脚が横に折れ曲がっていく。四本の手足がバンニュードの胴を中心として円を描くように曲がる。四肢に備えられた具足が繋がっていく。バンニュードの胴体にある禿頭を中心に四肢の先で篭手と具足が円を描く形に繋がり、中心に顔を持つ人間大の大型車輪の形を成す。そして、車輪を構成する篭手と具足が炎を吹き上げた。
「そうか……。輪入道男……」
 春香は呟く。
 昔、子供向けの妖怪辞典で奇妙な妖怪を見たことがあった。『輪入道』と銘打たれたその妖怪は炎を上げる車輪の中央に文字通り入道―坊主の顔がついた奇怪な妖怪だった。
 禿頭の男の顔面を中心に据えた大きな燃える車輪の化け物。それが目の前にいた。バンニュードが変じた炎の車輪が高速回転し、空中へと舞い上がる。そして、自らを一本の槍と化し、蹴りの姿勢で突っ込んでくる蝦蟇男へと殺到する。
 二人の距離が一瞬で縮まり、正面から激突した。
 蝦蟇男の足が炎に包まれ回転する車輪に轢かれて砕け飛んだ。蝦蟇男の顔が苦痛に歪む。
「バンニュードクラッシュッ!!」
 蝦蟇男の足を砕いたバンニュードはそのまま彼を蹂躙した。燃え滾る炎に炙られ、表皮の疣が弾け、煮え滾った毒液を噴出し、自身の四肢を焼いていく。胴の装甲は熱に溶け、車輪が触れる端から飛び散る。
 バンニュードが変じた車輪は蝦蟇男の炭化していく四肢を、溶けゆく胴を、彼の絶叫と共に縦真っ二つに燃やし斬った。裂かれた胴や千切れた四肢は炎を上げて燃え上がり、溢れ出た体液のことごとくはバンニュードの炎に炙られて蒸発していく。
 バンニュードは蝦蟇男を突き抜けると空中で弧を描き、減速しながら降下して、変形を解きながら地面に降り立った。膝をつく彼の後ろに黒焦げになり、もはや原型を留めない蝦蟇男の残骸が転がり落ち、乾いた音を立てる。
 バンニュードの四肢から炎が消えた。
 その時になって、春香は自分が戦いに見入り、足を止めていたことに気づいた。彼に庇われ、「逃げろ」と言われていた手前、ばつが悪い。毒液を弾いた右拳や、まともに浴びた足の装甲は爛れたままだ。気化した毒を受けたマスクにも傷痕が残っている。特徴的な突起の一つなどは溶けて曲がっている。
 バンニュードは立ち上がるとその右手を春香に振った。
「大丈夫? 怪我はなかった?」
 何事もなかったかのようにバンニュードが問いかける。
「え、えぇ……」
 春香はただ頷く。
「いや、あたしじゃなくて。バ……バンニュードさんこそ怪我が」
「大丈夫だ。このぐらいなら、けっこうすぐに直る便利な体質なんで」
 軽く言うと彼は延々リピートのかかっていたラジカセを拾い上げた。
「さて、それじゃ俺は行くよ」
 言いつつ彼は歩き出す。
「あ……」
 何か言おうとするが、それ以上言葉は出なかった。その間に彼はラジカセを手に、薄闇の向うへ歩み去って行った。
 あの格好で他の人に出会ったらどうするのだろうかと、少し心配になる。考えてみれば来た時も彼は徒歩でやって来た。
 ……そうだ、警察に電話した方が……。
 蝦蟇男が倒されたとはいえ、『伊邪那美』が何かを企んでいたのは確かだ。そして、そこにはいまだ蝦蟇男の亡骸が転がっている。両断された上に焼き尽くされ、落下してきた屍骸を恐る恐る見てみる。しかし、そこあるものは、コールタールに似た黒く粘り気のある液体だけだった。肉か髪の毛が焦げたような妙な匂いが鼻を突く。
 蝦蟇男はおそらく酸だと思われる猛毒を持っていた。その危険性を思い、春香は屍骸から離れる。
「毒か……。電話した方がいいわね」
 携帯電話を探して鞄に手を入れてから、自分が携帯電話を握りっぱなしであったことに気づいた。携帯電話は緊張と恐怖でかいた汗でじっとりと濡れている。一一〇のボタンを再び押しながら、春香はフェンスに残された戦いの後に目をやる。
 信じられないものばかりを見たが、それらは現実のものとして眼前に残されている。破れたフェンスと黒い粘液と化した蝦蟇男の残骸は、今しがた起こったことが夢や妄想でないことを無言で告げていた。
 ……おかしな夜。
 ようやく落ち着いてきた心でそう思った。

   ◆ ◆ ◆

 事情聴取は無意味で長い。
 欠伸を噛み殺しながら夜道を歩き、天頂へと登りつつある月を見て、春香は思った。
 バンニュードと別れてから警察に電話し、彼らの到着を待って事情聴取を受けた。同じようなことを繰り返し聞かれて、ようやく解放されたのは午後十時を過ぎてからだ。汗ばんだ肌が気持ち悪い上、急な緊張が繰り返されたためか眠気も酷い。警察は配水地の捜査を開始したが、野次馬になることもないので速攻で帰路についたところだ。
 すぐにシャワーを浴びて眠りたいところだが、夕食を作るのが先だ。シャワーを後にしなければ夕食の匂いを洗い流すことができない。
 ……冷蔵庫にカレーがあったわね。
 冷蔵庫の中身を思い出す。カレーを温め直し、冷蔵していた野菜類でサラダでも作ればそれなりの夕食は作ることができる。新しく料理を作る気力も、材料もない。実家に帰る準備はある程度終わっているが、それでも多少荷物に加えないといけないものがあることを考えると、憂鬱にならざるをえない。
 ふと春香は足を止めた。彼女は川べりに広がる畑を見ていた。
 蝦蟇男に襲われ、バンニュードに救われた現実味のない夜。そんな夜に目にするには少々現実味に溢れ過ぎる光景がそこにあった。
 野菜と野菜の間、盛り上がった土の間に一人の男が転がっていた。膨らんだスポーツバッグを頭に敷き、バスタオルのようなもので身を包み、男は眠っている。短く刈った髪の下、寝苦しそうに時折、荒い吐息を漏らす。タオルからはみ出した腕は太く、胸元にも盛り上がった筋肉と逞しい胸毛がはっきりと見えていた。
 現実味というよりも生臭い光景と言うのが一番相応しいのかも知れないと、春香は思った。少し都会に出て、人気のない場所を歩けばよく見る代物だ。とはいえ、春香の大学があるような田舎では少々珍しいことも確かだと言える。
 ……珍しい?
 そうは思うが、春香にとって、それだけのものでしかないのも確かだ。悪臭を放っているわけではないので特に害も感じない。
 春香の眉がピクリと動いた。喉まで出かかったうめきを口を抑えることで辛うじて塞き止める。彼女は瞳を細め、男をもう一度凝視した。目を閉じて首を振り、無言のままもう一度自分が見たものを確かめる。
 ……どうしよう。
 春香の視線は男が頭に敷いた鞄に釘付けになっていた。
 少しチャックの開いた鞄の隙間から赤い塊が覗いている。全体が見えるわけではないが、彼女はそれに見覚えがあった。むしろ、つい数時間程前に見たものだった。
 尖った装飾と黒いバイザーを備えた真紅のヘルメット。それはバンニュードの被っていたものと瓜二つだった。しかも、蒸発した毒液で傷ついた部分が露出しているため、眠っている男がただのファンで、バンニュードそっくりのヘルメットを趣味で作ったという考えは否定せざるをえない。
 ……いやいや、でも、彼自身がバンニュードだなんて、そんなことは……。
 そもそも、ただのマッチョな若人ではないかと思い直す彼女の前で、男が軽く寝返りを打った。乱れたタオルの隙間からラジカセが姿を見せる。今時、持っている人も少ない、ずいぶんと古い形のラジカセだ。遠目ではあったが、それもバンニュードが持っていたものに似ている。
 ……でもほら、ラジカセなんてどこにでもあるものよね。
 否定しようとしてみるが、彼との共通点はあまりに多過ぎる。しかし、それでも眼前に転がる男はただの人間だ。四肢を連結させて燃える車輪と化すことなどできるわけもない。それに自分の盾となりバンニュードは負傷していた。毒液で装甲ごと拳を爛れさせた、その痛々しい光景ははっきりと記憶している。
 ……だから、この人は別人……あぁっ!?
 確認しようと考えたわけではない。ただ、タオルからはみ出た右の拳に目を落としただけだ。だが、彼女の想いとは裏腹に、男の右拳は焼けたように爛れ、剥けた肌の下に艶やかな肉が露出していた。痛々しい光景に顔をしかめ、春香は小さくうめく。
 ……バンニュード……なの?
 畑に転がり眠る男をもう一度よく見る。路上生活をしているにしてはやけに小奇麗なシャツを着ている。ブラウンのパンツに包まれた脚は長く、タオルからは履き込んだスニーカーがはみ出している。両腕には鍛え上げられた逞しい筋肉が波打っている。だが、顔色はよくない。元々の顔の形なのかもしれないが、頬が少しこけているように見える。街灯と月明かりの下ではあるが、その顔色もいいとは言えない。爛れた右手が痛みを感じているかのように震える。
 毒にやられ、倒れているのではないかという不安が頭をもたげる。バンニュードは毒液を弾いただけではなく、それを蒸発させた中を突っ切っていた。呼吸器が冒されていてもおかしくはない。
「どうしよう……」
 男の寝息は静かなものだ。だが、専門家でない以上、医学的な判断を下すことはできない。万が一、ここに眠っているのがバンニュードだというならば、しかも、彼自身が望んで眠っているわけではなく、先程の戦いの負傷で倒れているとすれば、何もせずに立ち去ることはできない。明日、家から出た時、ここに救急車でも停まっていれば、罪悪感に苛まれることは間違いない。それにバンニュードは彼女を護ったことで負傷したのだ。
 春香は息を飲んだ。声をかけるべきか、いまだ迷っている。既に十時半を過ぎようとしている今、田舎道に人通りなどあるわけもない。
「でも……」
 彼女の呟きが聞こえたのか、男がうめいた。何か口の中で寝言らしい言葉がモゴモゴと発せられる。そして、太い眉がぴくぴくと動くとその瞳がゆっくりと開いていく。
 開かれた男の瞳と、彼を見守っていた春香の瞳がまともに合ってしまった。
 男は左の掌で眠そうな瞳を擦る。明らかに意識の覚醒した数度の瞬きの後、彼は誤魔化すようにもう一度瞳を閉じようとした。
「……バンニュード……さん?」
 思わず春香は尋ねていた。閉じられようとしていた男の眼が再び開かれる。彼が上半身を起こしたので、春香はさりげなく距離を取る。
「君は……さっきの……」
 言いつつ男は左手で短く黒い髪を立てた頭を掻く。
「しまったな。やっぱり路上はよくなかった」
 彼は気まずそうに笑うと枕代わりにしていた鞄を傍らに引き寄せた。
「路上生活者だと思ったわ」
 彼はわざとらしく笑いながら目を反らした。否定の言葉の一つでも欲しいところだと思ったが、春香もそれ以上は突っ込まない。
「それで……。本当にバンニュードさんなんですか」
 彼はもう一度頭を掻く。開いたままだった鞄を今さら閉めている。
「……あぁ。まあ、嘘をついてもしかたないぐらい色々見られたようだしな。正直に言えば、俺がバンニュードだ」
 親指で自分を指しながら言う。春香が考えていたよりも彼は元気そうだった。
「さっきは助けてもらって。ありがとうございました」
「あ、いや。何、そんな……」
 照れているのか傷ついた右手で頭を掻こうとしてうめく。爛れた部分を髪でまともに擦ってしまったように見えた。
「怪我、大丈夫ですか? あたしのせいで……」
「いやいやいや、大丈夫。見てくれよ、ほら」
 言いながら彼は今しがた擦ってうめいた右拳を前に突き出す。
「あ……」
 春香は信じられないものを見た。毒液で焼かれた傷は確かに存在していた。だが、遠目に見えていた傷痕のほとんどは既に桃色の新しい皮膚に覆われ始めている。爛れているように見えたのは剥がれかけている表面の皮の部分だったのだろう。傷の中央にだけはいまだ傷口らしい傷口が見えるが、無論、怪我というものはわずか数時間でここまで治るものではない。
「水で洗ったんで、ほとんど治ったんだ」
「洗って治るもんじゃないでしょ」
「そりゃそうか。水で洗って毒を落として……。後は体質だな」
 信じられるはずもない。もう一度傷口を見るが、確かにそれは治りかけている。見ている間に新しい皮膚が広がっているようにも思える。
「本当にバンニュードさんなの?」
「まぁな。正真正銘本物って言って、信じてもらえるか?」
 春香は惑いつつも首を振る。
「無理。あたしが見たのは、そのラジカセと鞄から見えたマスクだけだから」
「確かにそうだな」
 彼は土の上に座ったまま、自分の服装を見直すようにシャツの袖を引っ張った。ついでに匂いも気になるのか嗅いでいる。
「例えばだ。俺が、変身するんだ……って言って、信じるか?」
「信じない」
 春香は即答した。確かに妖怪造人間という信じがたい者や、バンニュードの車輪への変形は目の当たりにした。仕組みも原理も理解不能だが、見てしまったものは夢でない以上、信じるしかないとは思う。だが、目の前のバンニュードと名乗る男が、あの姿に変身すると言われても信じることなどできない。そもそも、変身するならマスクなど必要ないはずだ。
 そう思いながら、春香は彼が抱える鞄を見た。鞄にはマスク以外も詰め込まれているのか妙に膨らんでいる。
「ところで、どうしてこんなところで寝てたの? 傷は大丈夫って今、言ったわよね? 空元気なら、救急車呼ぶけど」
「いやいや! 待ってくれ。それは困る。知ってのとおり、俺は指名手配の身だ」
「あ、そうだったわね。でも、それじゃ、よけいに、こんなところで寝ているのってよくないんじゃないの? 家に帰るなり、どこかに隠れるなりすれば……」
「君の言うことは正しい。だけど、俺は……」
 唐突に異音が鳴り響いた。ゴムを捻り、引っ掻いたような妙な音が何か言おうとした彼の腹から高らかと響く。一般的には腹の虫と呼ばれる音に間違いない。
 春香と男は顔を見合わせる。数秒の沈黙が流れ、再び男の腹が鳴る。しかも、その音はやけに長く大きい。
「……あなた、やっぱり……」
「待て。その「やっぱり」は、「バンニュード」という言葉にかけていると思って間違いないよな?」
 本音を言えば、やはりバンニュードファンのホームレスなのではないかという言葉に、七割強、言葉をかけていたのだが、春香はあえて口にしなかった。
「白状する。俺は見てのとおりの空腹だ。既に三日はまともなものを食べていない。チロルチョコは美味しく頂いたが、少々コストパフォーマンスに欠けると、俺は思う」
「チロルチョコ以外は?」
「増えるワカメは胃の中で増えるので得した気分になるが、味がよくない。無論、ここの畑にものには手をつけていないぞ」
「というか、どうして食べ物ないの? 買えばいいじゃない。まさか、お金がないわけじゃないでしょ?」
 彼は首を思い切り横に振る。
「俺は無職だ。金なんて、もはや風前の灯火と言える」
「見たままの無職じゃないの! よくもバンニュードなんて言えたわね、このファン。働きなさいよ、普通に」
「違う! 半年前まではきちんと働いていたんだ。それにきちんと家もあったんだ!」
 叫び、そして彼は力を失ったようにうなだれる。
「……家はどうしたの?」
「借家だった。でも、収入なしに維持できると、君は思うのか?」
「思わないわ」
「そういうことだ」
「そういうことだ……じゃなくて、働きなさいよ。ほんと、普通に」
「いつ現れるかわからない『伊邪那美』と戦いながら、働けると思うか? 正直、無理だ!」
「無理って言われても……」
「そうだよな。俺も働いた方がいいと思う」
 自嘲気味に笑うと彼は肩を落とした。筋骨隆々とした身体が縮こまり、小さく見えた。
 嘘をついているよには見えない。春香はそう思わざるをえなかった。というよりも、こんな情けない嘘をつく意味を感じなかった。彼がバンニュードであるということは、いまだ半信半疑の域を出ない。だが、春香の顔を知っていたこと。バンニュードが受けた傷と同じ傷を持つこと。それらの符号は確かに彼がバンニュードであることを示している。変身してバンニュードになるという彼の言葉は信じられないが、理性的に考えても、目の前の無職の男がバンニュードであることはほぼ間違いない。
「バンニュード……なのよね?」
「いつの間にか、呼び捨てだな」
 彼は苦笑する。
「信じられないだろうが、俺はバンニュードだ。証拠って言っても、これしかないけどな」
 ラジカセを上げ、鞄を軽く叩く。
「そう……」
 春香は吐息した。
 彼がバンニュードだというなら、それこそ、彼が何のために戦っているのか、彼女にはわからない。自らの生活を犠牲にしてまで、彼は『伊邪那美』の妖怪造人間と死闘を繰り広げている。その戦いが激烈なものであり、紛れもない命の奪い合いであることは、春香自身が先程目の当たりにした。
 だが、それに対して、彼は何の見返りも受けていない。どこかから給料を支給されているわけでもなく、英雄的な扱いを受けるにも程遠い。むしろ、警察に追われる身だ。
 ……何故、戦ってるの? こんなところで寝てまで。
 問いかけようと思ったが、先程の会話で既に沈むところまで沈み、俯いて溜息を吐き、目尻に涙すら浮かべる彼にそれ以上を尋ねることはできなかった。
 再び彼の腹が音を鳴らす。常に行動に意味を求める春香だが、その姿はあまりに哀れで、胸の奥に鈍い痛みすら感じた。
「……夕飯だけ……食べてく?」
 気づけば春香の唇は彼女自身思いも寄らない言葉を発していた。
「ほ、ほ、ほ、本当か!!」
 俯いていた体が一気に海老反り、双眸が嬉しさに満ち満ちた輝きを宿す。
「あ、いや、しかし……そんなこと……。悪いぜ。そんなことしてもらうために、その……助けたりしたわけじゃ」
 恐縮してみるが腹は鳴る。
「いいから。あたしからの御礼。それに、余りものだから、たいしたものはできないことは覚悟しておいてね」
「ああ! 全身全霊を込めて覚悟させてもらう! ありがとう! 本当にありがとう!」
 大きな両手を擦り合わせ、彼は春香を拝み始めた。
 それを開始二秒でやめさせながら、小さく吐息する。
 ……どうしてこんなことを……。
 春香の寮は相部屋ではない。あくまで一人暮らしのアパートのようなものだ。そこに見ず知らずの、しかも、こんな得体の知れない男を入れるなどは正気の沙汰ではない。それは彼女自身、理解していた。だが、自分を護ってくれた彼に不思議と悪い印象は持たない。生活費も住居も失い路上で寝るような真似をしてまで戦い続ける彼が悪い人間であるわけはない。これまで全ての会話が嘘だという可能性はないでもないが、芝居を打つならもっと真っ当な芝居を打つものだ。
 幸い、冷蔵庫に保管してある作り置きのカレーは二人分でも十分な量が残っているはずだ。
「それじゃ、行くわよ。バンニュード」
「あぁ……。ほんとにありがとう」
 再び菩薩を前にしたかのように両の掌を擦り合わせると彼は荷物を手に立ち上がる。
「あ、ちょっと待った」
 彼の声に春香は歩き出そうとしていた足を止めた。
「どうしたの?」
「俺の名前なんだがさ。バンニュードってのは、あの姿の時の名前なんだ」
「確かに人前でそんな名前で呼ぶのは恥ずかしいわね」
「恥ずかしいのか?」
「恥ずかしいわ」
 彼は両肩を落としたが、すぐに顔を上げた。
「まあ、とにかく。俺の名前は大車輪(おおぐるま りん)。大車とか、輪って呼んでくれ」
「わかったわ。あたしもまだ名前言ってなかったわね。獅子藤春香よ。大車さん」
「了解だ。獅子藤さん」
 彼―大車輪がニッと笑ったので、春香もつられて微笑した。
「あれ? じゃぁ、バンニュードって名前は?」
「俺がつけたんだ。燃える入道ってことで、BURN―NYUDO、すなわちバンニュード!」
「へー」
 思うところは色々あったが、春香はあえて何も言わなかった。とりあえず、頷くだけ頷いて、彼女は歩き出した。その後ろを荷物を担いだ輪が慌てて追いかけた。


『妖怪超人バンニュード』本編へ つづく






































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