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ライトノベル作家、八薙玉造のblogです。 ここでは、主に商業活動、同人活動の宣伝を行っております。
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 ライトノベルをガリガリと書かせていただいている身の上です。

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※この記事は2006年11月30日に修正加筆されています。

 先日の『関西コミティア29』で無料配布しました、『伝奇ストロングスタイル 稲妻の鋼姉(はがねぇ)予告篇』をネット公開します。(2006年11月30日付けで最新のものと差し替えました)

 本作は、中編作品『稲妻の鋼姉(はがねぇ)』の冒頭部分の掲載となっており、実際の本文とは以下の点が異なります。(細かい部分は無料配布小冊子版とも異なっていたりします)
 
・ルビを使わないため、ルビ部分は()表記で書かれています。
・レイアウトなどが異なります。
・完成稿校正時に文章が変更される可能性があります。
・最近、特にハーレムエンディングが気になります。僕の人生の。

 『伝奇ストロングスタイル 稲妻の鋼姉(はがねぇ)』はコミックマーケット71での頒布を予定しています。スペースは『30日(土曜)東パ-29b』になります。

■あらすじ
 顕世に現れた神々と交渉し、場合によっては力づくで叩きのめすことを生業とする企業があった。派遣会社ラビットフット。それは、古代より様々な組織によって受け継がれてきた天津神々の神威の代行者である。
 さておき。ラビットフットから仕事を受ける女子高生、巻島李希(まきしま・りき)の姉―恋(れん)の趣味は妹を千尋の谷へ叩き落すことだった。変態かつ猛者の祖父―善戒(ぜんかい)と、男気ばかり溢れる姉に囲まれて、妙な青春を過ごしていた李希だったが、ある時、ラビットフットから受けた仕事の中で姉は死に、同時に祖父が行方不明になる。両親は既に亡く、一人残され悲嘆に暮れる李希。しかし、その前に姉と同じ姿を持つ女性が現れる。
「俺の名前は、人呼んで巻島マキシマム恋。お前の祖父善戒が、お前の姉にするために作り上げたマシンだ」
 当然、信じない李希に対して、マキシマム恋の腕が炎を上げて飛んだ。さらに目からビームを照射され、李希は認めざるをえなかった。そこにいるのが、本物の姉型ロボット(超強力)であることを!
 頭は弱いが腕っ節は強い李希と、その姉を自称するロボット女子、マキシマム恋が繰り広げる伝奇ストロング中編! 

※なお、今回の『予告篇』にはマキシマム恋は登場しません。

■登場人物紹介


巻島李希(まきしま・りき)
 主人公。16歳の女子高生だが、派遣会社ラビットフットから仕事を受ける派遣社員でもある。『息吹』なる業を用いた身体強化で誇張抜きに拳で岩を砕く豪腕女子だが、頭はかわいそう。

「自分がかわいいってことに微塵の疑いも抱かないあたしが、あんた如き三下に負けるわきゃないわ!」

巻島恋(まきしま・れん)
 李希の姉にして派遣会社ラビットフットから仕事を受ける派遣社員。滅多やたら強く、趣味はゴシックロリータファッション。だが、一番の好物は妹を千尋の谷に叩き落して鍛え上げること。頭の中身が剣鉄也とあまり変わらない。

「言っておくが、俺は少々荒っぽいぜ!」

巻島善戒(まきしま・ぜんかい)
 李希の祖父。顔面に斜め一直線の刀傷を持つマッシブ爺。自ら開発したどう見ても銃刀法違反の武装を振り回し、恋と同等の腕力でアバレる。しかし、頭の中身は孫娘のことでいっぱいで、とにかく変質者。

「ぎゃーははは! わしはいつだって、お前の唇にもときめく七十代だっつーの!」

巻島マキシマム恋(まきしま・まきしまむ・れん)
 「人呼んで巻島マキシマム恋。お前の祖父善戒が、お前の姉にするために作り上げたマシンだ」と口走って、李希の前に姿を現す恋そっくりの謎の女性。戦闘のプロフェッショナルでマシンだと、彼女は語る。『予告篇』には未登場だが、頭はやはり鉄也さん。



 そんなわけで、巫女とゴスロリと拳入り乱れる伝奇小説に興味を抱いてくれた貴方は、『予告篇へ』ボタンをポチっと押してどうぞ。
 なお、もう既におわかりのとおり、グレートマジンガーのパロディネタ多し! よせやい、鉄也さん。

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   ◆ ◆ ◆

 獅子は己の子を千尋の谷に突き落とし、そこから這い上がってきた者だけを育てると言う。
 その夜、巻島李希(まきしま・りき)は十六歳の女子高生でありながら、千尋の谷に突き落とされている真っ最中だった。しかも、その背を突き飛ばしたのは実の姉―巻島恋(まきしま・れん)だ。嬉々として妹を千尋の谷の奥底に叩き込んだ姉には一片の悪気すらない。巻島恋にとって、その行為は日常化した日々の特訓の一場面でしかないのだ。
 だが、故事というものはあくまで例えに過ぎないため、実際に李希が岩の突き出た谷底に叩きつけられて虫の息というわけではない。
 彼女がいるのは大都会―東京の真っ只中、鉄筋製の小さな橋の真下に広がる川原だ。川岸に並ぶ街灯の明かりも川原にはほとんど届かない。都会の淀んだ空に霞む月と星の光が照らす川原に李希はいた。
 そして、彼女にとっての千尋の谷は今眼前にいる。
 それは東京という街にはそぐわない猿に似た生き物だった。その体躯は二メートルを軽く越える。同年代の少女と比べても小柄だと言える李希の背丈を遥かに上回る肉体を持つ獣が彼女の目の前に伏せていた。蜘蛛を連想させる長い四肢を大地に這わせ、その生き物は細い瞳で李希を見つめている。
 猿顔の蜘蛛だと紹介すれば友人は信じてくれるだろうかと、李希は考えてみた。だが、どう考えても無理そうなのでやめた。だから、考えを変えて、その猿顔の生き物の腕と脚の間に張られた皮膜が柔らかそうなので、これはかわいい生き物なのだと思い込もうとしたが、やはりやめた。どう贔屓目に見ても醜悪な化け物にしか見えない。とにかく、その猿顔が普通の生物とは一線を隔しているのは確かだ。
 猿顔の細い瞳が舐めるように李希を見つめている……と、李希は勝手に状況を脳内で文章化してみたが、やはり嫌悪感に身を震わせるしかなかった。
 実際、それが普通の動物ではないことを彼女は知っている。
 それは神霊と呼ばれる者だ。日本で言う八百万の神の一柱を彼女らはこう呼んでいる。二十一世紀を迎えた文明社会には申し訳ない気分でいっぱいになるが、この世界には物質的な常識では計ることのできない不可思議な者たちが確実に存在する。長い年月を山で生きた動物や、樹齢数百年を越える樹木、長い時を経たありとあらゆる物質が、山海が放つ気―霊気を取り込み、意思である魂を得てその身を変じたもの。それらが神霊と呼ばれる者たちだ。
 彼らは人の世界にいてはいけないものだと、李希は聞いている。神代から伝わる伝承を鵜呑みにしているに過ぎないので、それがどこまで正しいのか彼女には判断することができないが、人の祖である神―天津神の一柱と、国津神と呼ばれる神霊たちの間で、この国を二分する盟約が交わされたのだと言う。
 少なくとも、李希は、この世界―顕世(うつしよ)とは違う、別の世界―異界である幽世(かくりよ)に神霊と呼ばれる者たちが住み、互いの世界を監視し合い、相互の干渉を極力避ける不断の努力を続けていることを知っている。
 それら全てが自分の妄想であれば、素直に文明社会に溶け込むことができるのだと彼女は否定的に考えているが、その監視を生業としている会社があり、自身がそこの派遣社員として労働に励んでいるのだから、妄想でもなんでもない。なんといっても、働けば手元に現金が残るのだ。それを信じずして何を信じるのかと李希は思う。
 李希的に状況を要約すれば、今、彼女の目の前にいる猿顔の化け物は、まだ変じて間もない神霊で、オツムも弱いかわいそうな奴なので、幽世の偉い人の言うことも聞かずにこちらの世界に迷い出てきてしまった馬鹿野郎だということになる。そして、これを叩きのめすなり正座させて懇々と説教を説くなりして幽世に帰すか、滅ぼすかすれば日当三万円。その仕事を受けたのが巻島李希の実の姉、巻島恋なのだ。
 だがしかし、今、実際にその猿顔と対峙しているのは巻島李希だ。長い黒髪を夏の夜風になびかせ、紅白の色彩も鮮やかな巫女装束を纏い、服装にそぐわない獰猛な目つきを猿顔目掛けて叩き込んでいる。やや幼さを残しつつも整った顔と、少し太めだが綺麗な眉も、狂犬か街角のゴロツキのような目つきの前では全て台無しだ。
 李希が猿顔と対峙している理由はごくごく単純だ。決して姉が仕事をさぼったわけでもなければ、さぼり癖があるわけでもなく、急病というわけでもない。実の姉が笑顔で「一ランク上の敵と実戦だ。なぁに、いざとなれば俺が助けてやるから、全力で行け」と言ったのだ。一人称が『俺』の姉だ。逆らえば関節どころでは済まない。これは姉の第一の趣味―特訓なのだ。
 だから、李希は狂犬の目で睨み、猿顔にやり場のない怒りをぶつける。八つ当たりだが、しかたがない。
「やってやる! やってやろうじゃないの! 自分がかわいいってことに微塵の疑いも抱かないあたしが、あんた如き三下に負けるわきゃないわ!」
 李希の叫びに、猿顔は這いつくばったその身をさらに深く沈めた。
 肉食獣が襲いかかる直前の動きに似ていると李希は思う。言葉は通じていないはずだが、侮辱の意図だけは必要以上に伝わったのだろう。その証拠は明らかな敵意を持って李希を睨みつける猿顔の細い瞳と、皺の寄った唇から漏れ出る怒気をはらんだ唸りにも現れている。
「はっ! 早いところかかってきたら? あたしの強さ、見せつけてやるまでよ!」
 挑発しつつ、李希は眼前にいる猿顔の神について、姉から聞いたこと全てを思い出していく。人の世である顕世の理を超えた者が相手なのだから、肉体に叩き込んだ技術全てと同時に利口な頭に蓄積した全ての知識を総動員して戦わなければ勝利は望めない。正確にはその言葉全てが姉の受け売りだが、今考えているのは自分なのだと、李希は余分な考えを追い出す努力も忘れない。
 眼前にいる敵は蜘蛛に似た獣でありながら、巨躯を持ち、四肢の間に皮膜を供えた猿顔の神霊だ。体毛を逆立てて、威嚇の唸りを上げているそれは山地乳(やまちち)と呼ばれる種の神霊だと言う。歳経た蝙蝠が変じた化け物だと言うが、その面影には猿しか見当たらない。ムササビの化けたものだと言う説も捨てがたいと、姉が語っていたが、皮膜が腕と足の間に張られているのを見て、李希もその説を支持したくなっていた。
 その正体はともかく、山地乳は生き物の寝息を吸い、吸われた者を殺すという厄介な習性を持つ。山地乳が息から何を吸うのかははっきりとわかっていない。魂とも生気とも言うべき霊気を吸うとも、生き血を啜るのだとも言われているが、その結果が獲物の死であるということだけは確実だ。
 だから、巻島恋が確保、もしくは殲滅の依頼を受けたのだ。
 ……つまりは、たぶん飛ぶ。そして、キッスは魔のキッス!
 憶測で判断し、李希は先手を打つべく一歩を踏み出す。同時に山地乳が長い四肢で大地を蹴った。
 ……来る!?
 李希が拳を握り締めた瞬間、山地乳の巨躯が空を舞った。二メートルを越える身体が李希を越え、一気に上昇する。李希が空を仰いだ時、それは既に頭上にかかるコンクリートの橋を背にしていた。上昇する身体がコンクリートに叩きつけられる前に、山地乳は身体を反転して橋の裏を蹴り飛ばす。蹴りがコンクリートの表面を叩き削った。人の世の物質的制限から開放された神霊の身体能力は野生動物の比ではない。
 ……降下攻撃?
 しかし、李希の予想は再び外れた。橋を蹴った山地乳の四肢が大きく開かれ、特徴的な皮膜が広げられる。李希を飛び越えた山地乳は彼女の後方にある土手に向かって、まっすぐに滑空していく。
「……野郎っ! いきなり逃げるなんて、どんな根性してんのよ! ついてるのか、チンチン!」
 李希は地団太を踏み、毒づくと、空を滑る山地乳を追って走り出す。
 蹴り脚が後方へと土砂を吹き上げ、身体が大きく前方へ飛ぶ。二歩目を踏み、李希の肉体はさらに加速する。三歩目には彼女は勢いの乗った原付を軽く凌駕する速度に達していた。滑空する山地乳の背がみるみる近づいてくる。
 当然、李希の速さは人の出せる力でも速度でもない。
 李希や恋が戦い、交渉する相手は仮にも神と呼ばれる者たちだ。跳躍の一つで空高く飛び上がり、蹴りの一撃で岩を砂糖菓子のように崩してしまう。顕世の物理的な束縛から解き放たれた彼岸の者たちを相手取るには彼女たちも同じ場所に立つしかない。
 そして、李希にはその術があり、それを全力で用いているのだ。
 滑空し、徐々に高度を落としていく山地乳は橋を支える橋台に向かっていた。土手に向かって飛ばれれば二度目の跳躍で市街地に乱入される危険性があるが、幸い、山地乳の前にはその行く手を遮る石の塊がある。逸れる様子もない。
「つまりは、袋の鼠とはこのことよ! ひゃっほー! 逃がさないよ、子猫というか、お猿さぁん!」
 奇声を発しても李希は呼吸を乱さない。聞く者が聞けば彼女の呼吸が今、通常の呼吸と違っていることがわかる。李希の呼吸は常人の呼吸に似ているが全くの別ものだ。異質な呼吸は一定のリズムに乗り、それが巻島李希という人間の身体を変質させている。
 山海の気から魂を得た国津神と呼ばれる神霊とは別種の神々、天津神。神代に人の世を作り出した彼らの魂の一部が李希たちには宿り、そして、人という器は彼らに似せられて作られたとされる。だから、呼吸を、意識を、肉体をそれらに近づければ人の肉体は神々へと近づくことができる。彼女が纏う巫女装束も精神的な補助を目的としており、決して李希の趣味ではない。
 古くから葦立(あだち)神社の宮司を勤める巻島家に伝わる秘儀を、江戸末期に興った復古神道が再生した数々の古代神事によって練り上げた『息吹(いぶき)』と呼ばれる業の一種。それが巻島李希が神霊に対するための術だ。
 李希にはその理屈はよく理解できず、説明もできない。しかし、幼い頃から姉や祖父に叩き込まれてきた技術が真実であることだけは、今の己の身体が体現している。「早い話、中国拳法の気とか、そんなんだ。ほら、漫画読んでイメージングしろ! 噴!」と、姉が乱暴に言い切ったことで、感覚的にも理解できている。風を切る腕が、大地を蹴り破る両の脚が、『息吹』の力を示しているのだ。
 橋台にぶつかる直前で山地乳が身を翻し、競泳選手がターンするようにコンクリートの壁に両足を叩きつけた。追いつかれ、逃げ切れないことを悟ったことで逃亡から反転迎撃へと転じたのだろうと推測し、李希は小さな唇を歪めて笑う。
 ……まさに猿知恵! うわ、言いえて妙!
 まっすぐに睨みつける山地乳の視線に臆することなく、李希は突き進む。喧嘩するまでの準備を常に二秒以内に済ませる李希の心には火が点きっぱなしだ。そもそも、いきなり逃げるような相手に負ける要素などあるわけがない。
「真っ向勝負してやろうじゃないの! ブチ砕く!」
 反転し、飛びかかってくる山地乳に対し、李希は握り締めた拳の左を前に突き出し、右拳を引いて両脇を締め上げる。そして、勢いに乗った左足で地面を踏み砕き、左拳を引くと同時に右足を、そして、右拳をまっすぐに撃ち出す。腰の入った動きから繰り出されるのは、何千何万と繰り返し、鍛えに鍛えた得意の正拳突きだ。踏み込みで砂利を砕き、足を土に埋めながら、一切の誇張抜きに岩を殴り壊す単純明快かつ一撃必殺の拳が唸りを上げる。
 そして、それは盛大に外れた。
 真っ向から飛びかかってくるはずだった山地乳は軽々と身をかわして李希の真横を通り抜けていった。
「……あれ?」
 標的を失った拳は橋台に真っ向勝負を挑み、炸裂した。拳を中心としてコンクリートに放射状の皹が生じ、次の瞬間、内から爆ぜるように砕け飛ぶ。
 しかし、既に山地乳はいない。それどころか脇をすり抜けられ、後ろを取られている。橋台の破砕が、明日には街の悪戯坊主のタチの悪い悪戯ということになることを心の隅で祈りながらも、一気に振り向く。
 振り向いた李希は山地乳が何かを投じるのを確かに見た。同時に彼女の顔面に勢いよくその何かが叩きつけられ、貼り付く。
「はっぷぉっ!?」
 柔らかな塊に視界は愚か、鼻までを押し潰されて、李希はうめく。側頭部や顎に、それが持つ四肢らしきものがしっかりとしがみつくのが伝わってくる。というよりも、爪らしいものが食い込んで痛い上に、抑えられた鼻から流れ込んでくる獣臭い匂いが吐き気をもよおす。
 ……まずっ!?
 引き剥がそうと広げた手にさらに同じ柔らかな感触が叩きつけられた。顔に貼り付くものと同じく、爪を持つ何かが右手にしがみついてきたのだと、李希が気づいた時には、既に左手に、続けて両足に同じものが取り付いていた。視界に加えて、バランスさえも失い、李希はよろめく。
 その耳に前方で砂利を蹴る音が聞こえた。
 ……まずっ!? マジにまずい!!
 山地乳が今度こそ真正面から突っ込んでくる気配を感じるが、何かに貼り付かれた両掌は自由にならず、視界を覆うものを剥がすこともできない。その上、それらがモゾモゾと動いて気持ち悪いことこの上ない。
「ふがぁぁぁぁっ!!」
 だから、李希は顔を覆うものに思い切り噛みついた。
 甲高い悲鳴を上げ、顔を覆っていたものが離れる。それが李希の歯形をつけた蝙蝠であることを認めると同時に、手が届く位置まで山地乳が迫っていることに瞳を見開く。両腕を上げて突進してくるそれに対して、せめて防御するために腕を上げようとするが、蝙蝠たちがしがみついて自由にならない。
「ブチ噛むぞ、こらぁぁ!」
 やけくそで叫んでも、もはや回避することもままならない。今、李希が喜ぶことができるのは、山地乳蝙蝠説が実証された気がしたことぐらいだ。飛びかかってくる山地乳が広げた皮膜の内にはまだ十数匹の蝙蝠が逆さまに取りついている。見方によっては、戦闘機に搭載されたミサイルに見えなくもない。
 だが、そんなことは李希にはどうでもよかった。苦し紛れに後退するが、足すらも自由にならない。両腕を山地乳の長い腕に掴まれ、そのまま地面に押し倒される。
 後頭部が激しく叩きつけられ、凄まじく鈍い音がしたが、『息吹』によって素で銃弾を弾き返せる程に防御能力が向上した今の李希には通用しない。
 だが、絶体絶命であることは間違いなかった。両腕を押さえて圧しかかる山地乳の猿顔が眼前に迫っていた。皺だらけの口を糸引く長い舌で舐め回すと、猿そっくりの顔が唇をすぼめて迫ってくる。細い瞳がやけに楽しげな曲線を描いているのが、なおさらに嫌悪感をそそる。
「ぎゃ、ぎゃぁぁぁっ!! 痴漢、アカン! 止まれ、HENTAI! 落ち着け、考え直せ! ぶっ殺すよ!」
 それでも顔が迫ってくるので、猿顔の鼻頭に思い切り噛みついた。もぎ取るかもぎ取らないかというギリギリの加減で思い切り噛んだ。
 悲鳴を上げ、山地乳が上半身をのけぞらせる。離れた山地乳の瞳には明らかに恐怖と戸惑いの色が浮かぶが、それでも辛うじて李希を抑える腕は離してはいない。再び、山地乳が顔を近づけてくる。今度は注意深くゆっくりと近づいてきたので、もう一度思い切り噛みつくとかわされた。
 押し倒されたまま顔と顔の距離を空け、李希と山地乳は真っ向から睨み合う。一週間、餌を抜いて首だけ出して土に埋めた犬のような目で睨みながら、鼻息も荒く、歯をガチガチと打ち鳴らして威嚇しつつも、李希は背筋を寒いものが伝うのを抑えられない。
 山地乳が息を吸い、どうやって殺そうとするのかはわからない。例えば魂とでも言える体内の霊気を食い散らされるのかもしれない。伝承はあくまで伝承で、物理的に内臓を食らい尽くされるのかもしれない。マニアックな推理としては、口に舌を突っ込んで直接粘膜から血を吸うなどとも考えてしまったが、そんなことよりも、あの顔でキスを迫ってくること自体が李希には許せない。ファーストキスでないにしても、あの猿顔に唇を奪われるぐらいなら、野良犬に襲われる方がまだいくらかましだと言える。
 だが、腕も足も動かせず、反撃に転じる方策が見つからないことも確かだ。今は眼力で押し込んでいる状態だが、このままではいずれ自分が先に力尽きることに、李希は気づいていた。この戦場は元々、人気がないことを選んで追い込んだ場所だ。偶然通りかかったサラリーマンのおじさんが山地乳の犠牲になっている隙に後ろから張り倒すような、奇跡が起こるとも思えない。ちょうど車が通りかかっているが、そんなものが川原を見ているわけもない。
 ……がぁぁ! ぐぁぁっ! ど、どうしよう、どうしよう! やられる! 汚される! た、助けてぇ!
 心の中で叫んでみるが、返事などあるわけがない。本当はいっそ泣いてしまいたいが、人を初めて殺した刺客組織の若手みたいな目をやめれば、唇を奪われること必至だ。
 その時、風を切る音が聞こえた。
 遠くから聞こえる車の排気音と比べても微弱な、ほんの小さな音だ。しかし、『息吹』によって強化された李希の五感はその小さな音すらも聞き逃しはしない。それが自分のいる場所目掛けて飛来する何かの風切音だということさえもわかる。
 掴んでいた李希の腕を離し、山地乳が跳び退く。神霊である山地乳も李希と同じものを聞いたのだろう。
 一瞬遅れて、李希の四肢を抑えていた蝙蝠たちが悲鳴も上げずに吹き飛び、川原に転がった。それらを打ったのは風音と共に飛来した掌大の石だ。
 石が飛んできた方向、土手の上に人影がある。
 夏の夜風に漆黒のスカートが翻る。そこに立つのは黒一色のドレスに身を包んだ女性だった。ドレスの色と同じく黒い長髪は腰に届く程に長い。纏うドレスにはフリルやリボンがあしらわれているが、その可憐さとは裏腹に染め上げる色は夜の闇と同じ黒の色だけだ。整った眉の下、細めた瞳がまっすぐに李希を見つめている。足には黒いブーツを履き、その手は指先までが闇色の手袋に覆われている。眉を上げ、可憐な唇に強気の微笑を乗せた顔だけが白く異質に見える。
 燦然と輝く満月を背に立つその女性を李希は知っていた。
「フ……。その程度なのか、李希」
 幾重にもバニエを含み、ボリュームのあるスカートを揺らしてブーツの一歩を踏み出した彼女に、李希は叫ぶ。
「お姉ちゃん!」
 李希の声に、黒いドレスを着た彼女の姉―巻島恋は「フ……」と短い笑みを返す。
 そして、その傍らに一人の老人が並んだ。白いシャツを着た小柄な老人だ。老齢からか、その背は曲がり、小柄で痩せた身体がより小さく縮んで見える。彼が生きてきた長い年月を現すように髪は全てが白く染まり、くすんだ肌には深い皺が幾重にも刻まれている。だが、強い意志を見せる太い眉の下、瞳には鋭い眼光が宿り、唇から覗く歯はいまだ白く、ほとんど欠けていない。固められた白髪は後ろに跳ね上がり、針鼠を彷彿とさせる程に尖っている。その上、顔面には斜め一直線の太い刀傷が刻まれていた。
 老人の背後には彼が乗ってきたものらしい車が停まっている。急停車したのか、斜めに駐車したそれから、老人は長い棒を抜き出した。土手の上に並ぶ街灯に鈍い金属製の輝きを照り返すそれは一本の長槍だ。背を曲げたままの老人が握る槍は、彼の背丈よりも長い。しかも、その穂先は螺旋に巻いた奇妙な形状をしていた。李希の記憶で辿れば、一番最初に検索できる日本語はカタカナのドリルだ。しかも、算数の宿題として渡されるものではない。
恋と並び立つ彼もまた、李希が知り過ぎる程に知っている顔だった。
 老人が怒気をはらんだ瞳で山地乳を睨みつけたまま、口を開く。
「おいおいおい! 神と呼ぶのもおこがましい化け物風情がわしのかわいい孫娘の唇を奪おうってか? すなわち、それはチューですよ、キッス! サクランボの如く、可憐な唇をてめぇ如きが汚い口で汚すってのか、あぁこらぁっ! 口吸いって言うと、やけにエロティックに聞こえるキッスが、わし、わしキス、わしチュー、なぁ、李希ぃ。ちっちゃい頃はおじいちゃんとよくキッシュ、おじいちゃ」
 恋の裏拳が鼻頭に炸裂し、老人は後頭部を車にぶつけて倒れたが、李希はまったく哀れだとは思えない。むしろ、それでも起き上がり、鼻血を拭う老人が、李希の祖父―巻島善戒(まきしま・ぜんかい)であることを嘆くばかりだ。
 戦時中に身に付けた様々な技術と、李希以上に達者な『息吹』の秘儀、そして、やはり戦時中に何処からか手に入れてきた莫大な資産と尊敬すべきものは多く、孫娘には優しく頼もしい祖父だが、日々の趣味が違法行為確実な物騒な発明と、あの言動で、不思議なことに尊敬の念は全て何処か遠くへ消え去ってしまって久しい。今、肩に担ぐ槍も間違いなく彼の違法発明に違いない。そして、先端のアレはやはり間違いなくドリルだ。
「恋! 幼い日々、一緒に御風呂に入ったことを忘れての仕打ちかよ、こりゃぁ。わしときたら今でも網膜に焼きついてるんだぜ? まさに生まれたままの姿!」
 鼻を抑えながらの善戒の叫びを無視して、恋が歩き出す。
「俺の言葉がわかるか? 山から来た神」
 山地乳へと語りかけながら、彼女は土手を下っていく。土手は急斜面な上にコンクリートで固められている。しかし、彼女は滑りやすく歩きにくいはずの地面を、ドレスの長い裾をわずかに揺らしながら、ブーツの足音と共に、平然と、そして、ゆっくりと下って来る。
「山から来た神。悪いことは言わないから、帰れ。神代の盟約で顕世は俺たちのものだ。おとなしく帰るのなら、俺も穏便に行く」
 言いつつ、恋は黒い手袋に包まれた拳を握る。
 対する山地乳は言葉が通じていないのか、それとも、聞く気すらないのか、動きを見せない。再び四肢を蜘蛛のように伸ばし、身体を深く沈め、細い目で恋を睨んでいる。皮膜の下にはまだ多数の蝙蝠が蠢いているのが見える。沈められた身体がさらに深く沈みこんでいた。それは明らかに攻撃の前触れだ。
「お姉ちゃん!」
 李希の叫びに、恋は苦笑と共に頷きを返す。
「交渉決裂というやつか」
 恋が川原に降り立ち、山地乳が飛んだ。
 一直線に飛来する山地乳へ向かい、恋もまたゆっくりと歩き出す。
 山地乳の皮膜から黒い塊が一気に放たれる。李希の視界と自由を奪った蝙蝠たちだ。
「残念だな、名前も知らない山の神」
 恋の唇が李希にとって見慣れた呼吸を見せる。
 まっすぐに歩くだけの彼女に触れることなく蝙蝠がすり抜けていく。三匹に一匹は何かが爆ぜたような音と共に力を失い地に落ちる。歩きながら重心をずらし、わずかに身を捩らせるだけでそのほとんどをかわし、よけられないタイミングのものは高速の拳で叩き落しているのだ。その拳打の速度は、五感を強化している李希ですらほとんど目視することはできない。
 それでも、山地乳は速度を緩めずに突っ込んでいく。二メートルを越える巨体が迫るが、それでも恋は動じない。
「言っておくが、俺は少々荒っぽいぜ!」
 山地乳の巨体と漆黒のドレスを纏う恋が交差した。黒いスカートがふわりと揺れ、同じ闇の色に包まれた足首までが露になる。そして、大地を割り、李希の腹に響く音が一つ鳴り響く。同時に山地乳が巨躯をクの字に折り曲げて吹き飛んだ。
 いつの間にか突き出されていた拳を恋がブラリと横へ下げた時には、既に山地乳は地面に転げていた。血反吐を吐き、砂利の上を転げ回り、悲痛な声を上げてのた打ち回る。
 その胸の中心に銀光が落下し、突き立った。月光に曇った輝きを宿すそれは、善戒の手にしていた長槍だ。
「わしの新作とっておきだ」
 土手を転がり降りてきた善戒が尖った髭を弄りながら言った。串刺しにされた山地乳はそれでも槍を引き抜こうともがき苦しみ、その柄に手をかける。
「コンセプトはゴジラに一矢報いることができる携行兵器だ。つまりはアンギラスぐらいなら殺せる予定ってーことだぜ、三下」
 柄を掴む腕が血飛沫を上げた。穂先の下部から飛び出した四本の突起の一つが山地乳の腕を貫き、さらに、他の突起と共に穂先が突き刺さる腹へと深々と突き立てられていく。山地乳が絶叫を上げる中、槍はさらなる動きを見せる。固定した螺旋状の穂先が高速回転し、肉を裂き、骨を砕きながらその腹部へと沈んでいく。
 善戒が胸のポケットからタバコを取り出し、火を点けた。紫煙が夜闇に煙る。
「かわいい孫娘の唇を奪おうとした罰だぜ、神様よ。わしだって、日々、必至に我慢してんだよ! 我慢に我慢を重ねてんだよ! 本当に我慢してんだよぉっ!! 吹っ飛べ、この猿顔がぁ!」
 その言葉と共に、肉体を貫通し深々と突き立っていた穂先が爆裂、山地乳が粉々に吹っ飛んだ。文字通りの粉微塵だ。
「おじいさん、問題発言しかしてないってことに気づいてくれ」
 恋が溜息をつくが、善戒は鼻から煙草の煙を吹く。
「ぎゃーははは! わしはいつだって、お前の唇にもときめく七十代だっつーの!」
 爆笑する老人を無視し、恋は砕けた山地乳の破片を拾い上げる。飛び散った肉片は李希たちの見ている前で色を失い、土気色に変じ、そして崩れていく。神霊は動物ではなくなった時点で、徐々に物理的な生き物ではなくなっていく。身体を構築している霊気が失われ、魂がその身を離れれば、残るものは動物やモノであった頃の残りカスに過ぎない。肉体が形を失っていくということは、山地乳の確実な死を意味しているのだ。
 李希が空を見上げると、そこには山地乳から離れた蝙蝠たちが飛んでいる。それらもまた、山地乳程ではないが、人の世にいる蝙蝠とは別種の生き物に変じている者たちだろう。率いていた山地乳が死んだからか、蝙蝠たちはバラバラになり、逃げ去ろうとしている。
「お姉ちゃん」
 李希の言葉に恋が頷く。彼女は足元の石を拾い集めて軽く放り上げ、右腕を一閃した。夜空に鈍い音がいくつも鳴り響き、数瞬を置いて蝙蝠たちが落ちてきた。ついでに頭に一発入った善戒がもんどり打って倒れたが、恋は気にも留めない。
 李希は恋に走り寄る。恋の足元に転がる蝙蝠たちはそのどれもが、土に返ってはいない。
「お姉ちゃん、これ……?」
「トドメを刺す必要がないからな。このまま縛りつけて山へ帰すまでだ」
 言いながら、恋は倒れている善戒を片手に蝙蝠たちを拾い集め、彼の懐へと押し込んでいく。李希からすればよく見る光景なので、止める必要もなく、蝙蝠たちへの仕置きとしては加齢臭漂う善戒の胸に抱かれて眠るのはこの上なく効くだろう。同じことをされれば、李希さえも二度と朝寝坊することがない程に性格を矯正されるだろうということは確信せざるをえない。時折、覚醒の予兆を見せる老人を、軽い平手でもう一度眠りの国へと舞い戻しつつ、恋は黙々と蝙蝠を拾う。
「しかし……。あの程度に苦戦するとは。お前はどれだけ甘ちゃんなんだ」
 最後の蝙蝠を拾い、善戒に詰め込むと、恋は大きく溜息をついた。
 李希はうなだれる。
 苦戦というよりも、敗北だった。もし、恋が来なければ、あの猿顔の餌食にされていたことは想像に難くない。その敗因は単純に鍛錬の不足もあるが、状況判断の甘さが根底にある。山地乳の攻撃を予測もせずに、追撃のつもりで迂闊な攻撃をしたのがそもそもの原因だ。甘いと言われれば、返す言葉もなく、そして、それが恋の口癖になってしまっているのは、いまだ甘さが抜け切らない自分のせいなのだと、李希はうなだれる。
「ゴメン……。お姉ちゃんが来てくれなかったら……」
「俺が間に合わないわけないだろ」
 垂れた頭を手袋に包まれた掌が軽く叩く。
 李希が顔を上げると、彼女は既に背を向けていた。長い黒髪が優雅に揺れている。善戒を片手で引き摺りながら、彼女はゆっくりと土手へと歩いていく。その後を李希は追う。
「だが、俺がいつまでもいるわけじゃないんだぜ」
 恋がポツリと言った。
「え?」
「つまりは、帰ったらしごくって言ったんだ」
 恋が振り向いた。その唇の端が上がる。いつもどおりの言葉と、いつもどおりの生き生きとした剛毅な表情は変わらない。恋の趣味は、その姿を見てのとおりのゴシックロリータファッション、そして何よりも、李希に特訓を課して鍛え上げることが三度の飯よりも好きなのだ。「李希が強くなれば、今日は白米はいらない」と言い放つ程に好きなのだ。奇抜で無茶な特訓に不満を抱きながらも、李希はそんな姉が好きだった。そして、その特訓を結局、楽しんでいる自分を知っていた。
「特訓の後はカレーだ。おじいさんが作った奴だがな」
「ひゃっほー! さすが、お姉ちゃん! 今日はカレー記念日にしよう! 年三分の一がカレー記念日になっちゃうけど!」
 巻島家のカレー率はすこぶる高い。
「ただし、肉なしカレーだ」
「この美しい世界が滅んじゃう! 地球が……消える!」
 地団太を踏んで悔しがる李希だが、恋はその姿を見てもいつもの不敵な微笑を崩さない。
「肉を食いたければ、強くなることだ」
 言いつつ、善戒の頬を殴って起こし、車に放り込んだ。助手席に乗り込む彼女に続いて、李希が車に乗ると、善戒が懐の蝙蝠に襲われて悲鳴を上げていた。とりあえず、彼の不幸は無視し、これからでも遅くないからカレーに肉を入れることを進言してみたが、恋は取り合ってもくれない。
 頬を膨らませ、李希は不満を並べ立てる。
 しかし、それでも李希は楽しかった。姉にしごかれ、祖父の馬鹿な言葉に拳を叩きつけ、三人で過ごす毎日が好きだった。恋と李希は両親を早くに亡くしている。李希の母代わりは常に恋であり、父代わりは善戒だった。だから、李希は二人が好きだった。特訓に毒づいて酷い目に合わされても、調子に乗った祖父の急所を拳で打ち据えても、それでも二人が好きだった。愛していると言っても過言ではなかった。
 だから、李希は楽しかった。



 それは夢だ。



 そんな夢を見ていたことに気づいた時、部屋の外、縁側の向こうに見える空は夕日の朱に染まっていた。ゆっくりと意識が覚醒していくのを気だるく思いながら、李希は見ていた夢をぼんやりと反芻する。
 ……いつの間に寝てたのかな……。
 思い出すことができない。神棚と、神道式の仏壇と言える祖霊舎があるこの部屋に横たわり、庭を見ていた時にはまだ太陽が空高くにあったはずだった。昨日の夜、一睡もしなかったことで眠気と疲労が溜まっていたのだと思えば、いつの間にか意識を手放していたことも合点がいく。だが、そんなことがわかったところで何があるわけでもない。
 李希は畳の上に仰向けになると両手を大きく広げた。ノースリーブの白いキャミソールから覗く細い腕が畳の上に擦れ、独特の感触を伝えてくる。膝を立てているので、スカートの中身が見えるのではないかと一瞬考えたが、そもそもスパッツを履いたままなので、どうでもいいと思い直す。それ以上に、今この家には彼女の姿を見る者など誰もいない。だらしない姿を注意する者もいない。
 誰もいないのだ。
 天井を見ていた視線をゆっくりと降ろしていけば、そこには祖霊舎(みたまや)がある。神棚の下に置かれたそれは檜で作られた簡素なものだ。巻島家代々の霊を祀る祖霊舎なのだと、以前、祖父が話していたことを思い出す。
 そこに真新しい遺影があった。人の死を意味する写真だというのに、遺影の主は白と黒の写真の中で不敵に笑っている。
 それは李希の姉―巻島恋の遺影だ。
 壁には両親や祖母の遺影がかけられている。彼らと同じ世界へ、姉は先に逝ってしまった。恋はもうこの世界にはいない。
 彼女が死んだのはまだほんの五日前のことだ。
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